ゴジラ対アンパンマン

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ゴジラに託されたもの

すべてはここから

 今や日本のみならず、世界を代表する名作映画となった『ゴジラ』。ビルを破壊する豪快な表現法こそ違うが、原点は『アンパンマン』と同様、反戦≠フメッセージである。そして、その後の展開も、『アンパンマン』に通じるものを感じてしまう。今回はそんなの『ゴジラ』について私なりにまとめてみた。

話題の映画!

 時は1954年(昭和29年)…と順序を守りたいところだが、その30年後の1984年(昭和59年)。東京、名古屋、鹿児島の動物園にコアラがやって来て、紙幣のデザインもこれまでの政治家から文化人に一新された。そして、この年のもうひとつの話題と言えば、やはり、9年間のブランクを経て、スクリーンに戻って来た『ゴジラ』だろう!

おすすめゴジラ

 数多くの作品の中、特に注目して欲しいのは、伝説の第1作ではなく、1984年版の『ゴジラ』だ。私が初めて見たのは小学生の時だった。公開から10年経ってからのテレビ放送で。
 だが、この映画の本当のよさがわかったのは、大人になってからだった。図書館で公開当時、いや、その前年からの新聞に掲載された特集記事をいくつか読み、制作までの経緯を追体験≠オたのである。そして、同じ映画でものでも、事情を知れば、また見たくなるのは人間の心理である。

人生の先輩!

 初心者向けの作品に見えて、そうではない。それが1984年版の『ゴジラ』だ。ストーリーは前作の『メカゴジラの逆襲』とは繋がっていないから、単発として見ても問題はない。けれど、より味わうためには、結局、過去の15作も必要なのだ。
 という訳で、その30年前の第1作からゴジラの歴史≠ノついて簡単に振り返ろう。ゴジラ物語≠知れば、「人生は軌道修正≠ェできる!」という励みになるはず。

初代ゴジラ

 1954年(昭和29年)に公開。タイトルはシンプルに『ゴジラ』。
 水爆実験により、海底で目を覚まし、住み家を奪われたゴジラは、くだらない戦争を続ける人類に復讐≠するため日本に上陸。壊滅する東京の街を見た人々の頭の中には、まだ記憶に新しいあの戦争の恐怖≠ェ蘇る。最後は科学の力≠使い海底で駆除。しかし、それで「メデタシメデタシ」としないが、子供だましのアニメとは違うところ。
 ゴジラは悪か? 元をただせば、人間が先にゴジラの住み家を奪ったのである。ゴジラの死≠ヘ、そんな問いかけを我々人間に残した。

待望の2作目

 1955年(昭和30年)に公開。タイトルは『ゴジラの逆襲』。「あのゴジラが最後の1匹だとは思えない」。前作で山根博士が語った忠告通り、大阪でもう一体のゴジラが現れる。アンギラスという新たな巨大生物も。
 目の色を変えて、威嚇し合うゴジラとアンギラス。掴んでは噛みつき、掴んでは噛みつき…。完ぺきに理性を失った2頭の激しい戦いは、東京の街で起きたあの恐怖を蘇られる。
 倒れてもまた起き上がるゴジラの動きは、前作では重かった着ぐるみの改良を物語った。

ゴジラ冬眠

 次は『ゴジラの花嫁』のはずだったが、諸事情により未公開。『ゴジラ』は7年もの眠りに入る。7年は短いか? いや長い! 何しろピカピカのランドセルを背負っていた小学生が中学生である。
 その間、東宝さんは『空の大怪獣ラドン』、『地球防衛軍』、『大怪獣バラン』、『モスラ』と別の怪獣映画制作にチャレンジした。宣伝文句などには『ゴジラ』が引き合いに出されることもあった。だが、『ゴジラ』は強かった。

ゴジラ目覚める!

 1962年(昭和37年)、『キングコング対ゴジラ』を公開。初のカラー制作。日米のスーパースター同士の対決とあって、歴代1位の1120万人を動員。『ゴジラ』の人気を決定づける。しかし、ここから怪獣プロレス映画≠ノ路線が変更され、核や戦争への批判は次第に薄れていく。そして、ゴジラが人類に復讐する構図は、1964年(昭和39年)に公開された『モスラ対ゴジラ』で最後となる。

改心ゴジラ

 1964年(昭和39年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』を公開。この年は『モスラ対ゴジラ』に続いて2本も制作された。
 宇宙怪獣キングギドラが地球に襲来。地球を守る方法はただひとつ。ゴジラ、ラドン、そしてモスラが力を合わせることである。モスラに説得され、ソフトな性格になったゴジラは、どこか愛嬌があるヒーローにキャラクターを変える。

お笑いゴジラ

 ヒーロー化したゴジラは、ファンサービスも考え、数々の芸を披露する。
 伝説のシェーゴジラ≠ヘ、1965年(昭和40年)に公開された『怪獣大戦争』から。当時、人気漫画だった『おそ松くん』のパロディー。フィギュア化もされた。
 1966年(昭和41年)に公開された『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』では俳優の加山雄三さんの真似して鼻の頭を指でこする。これは元々、キングコングにやらせるつもりだったが、諸事情によりゴジラに差し替えたという話がある。
 1971年(昭和46年)に公開された『ゴジラ対ヘドラ』ではラストに空飛ぶゴジラ=A1972年(昭和47年)に公開された『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』には決戦を前にアンギラスと奇妙な会話をする吹き出しゴジラ≠ェ登場。どちらもよく切り取られる迷場面である。

どうしたゴジラ?

 こうした路線変更については賛否が分かれた。関係者にも当初は「ゴジラにこんなことをやらせていいのか?」と反対派がいたという。
 水爆実験で住み家を奪われたゴジラ。環境破壊と科学との共存。人間は正義でゴジラは悪か? この重いテーマが『ゴジラ』という作品ではなかったのか? かつてのファンは首を傾げた。

アンパンマンもどうした?

 作品の性格がいつの間にか変わってしまったのことについては『アンパンマン』も同じだ。世界中には国が貧しく、戦争や飢えで罪もなく死んでいく人がいる。そんな人たちの命をできる限り救うため、遠くの空から食べ物を運んで来るヒーローがいれば…。『アンパンマン』は、こういう平和の願いから生まれた作品だった。

どちらが悪でどちらが正義?

 やなせ先生は「正義は簡単に逆転する」とよく語った。逆転する正義とは、『ゴジラ』がいい例だろう。正義のために戦っても、しょせんは人間の立場≠ナ考えたもの。地球全体から見たら、ゴジラは被害者≠ナ、むしろ、水爆実験で環境破壊をする人間たちの方が悪≠ニいう訳だ。『アンパンマン』と『ゴジラ』は哲学も同じなのだ。
 逆転しない正義とは何か? 戦争経験の1人でもあるやなせ先生は首を傾げた。飢えて死んでいく人たちを助けることなら、誰が見ても納得する。そんな訳で『アンパンマン』という作品が描き始めたのだ。
 だが、アニメの『アンパンマン』は別物だ。飢餓や貧困などの本来のテーマを無視して、正義のヒーローが力で悪を成敗する誰でも考えられる単純な話に変わり果ててしまったのである。

さらばゴジラ

 話は『ゴジラ』に戻るが、一部のシーンだけ見ると、バカみたいな映画に思えるが、70年代に入ると、意外にも公害や反核などの問題を取り上げたことも触れるべきだろう。しかし、同じ頃、プロ野球では気候変動(?)が起こる。
 1971年(昭和46年)、大映が経営難から球団をついに手放した。ロッテがスポンサーから昇格するかたちで新たな所有者となる。その2年後となる1973年(昭和48年)、東映も日拓に…。球界からついに映画会社が消えた。
 映画業界は厳しかった。テレビが一般家庭に普及し、人々は年々、映画から離れて行ったのである。そんな時代の波に『ゴジラ』も苦戦を強いられた。
 そして、1975年(昭和50年)、『メカゴジラの逆襲』が公開。観客動員ワースト記録となり、長い歴史はここで一度幕を下ろす。だが、これは『ゴジラ』が生まれ変わるチャンスとなった。

ゴジラブコール

 『ゴジラ』が再び話題になるのは1983年(昭和58年)。一足先に動いたのは『ゴジラ復活委員会』。『毎日新聞〔1983年4月20日付夕刊〕』の総合面によると、その2年前の8月、9歳から50歳までの約300人ものファンが集まって結成したという。インターネットがまだない時代である。朝日麦酒ではそのブームに目をつけゴジラをCMに抜擢。レコードや文房具、玩具なども発売された。『ゴジラ』は東宝さんが知らない間に目を覚ましていた。

ホームシアターブーム?

 VHSの勝ちか? それともベータの軌跡の逆転か? まだ一部の金持ちだけであるが、家庭用ビデオ機の普及が注目し始めたのもこの時代の話。好きだった昔の映画を見たい時に自宅で楽しむ。もしかしたらこれも『ゴジラ』が再び注目された理由のひとつかもしれない。

ライバルはコアラ?

 ゴジラブーム≠ェメディアで取り上げられていた頃、全国の動物園ではコアラ誘致争奪戦≠ェ展開。『ゴジラ』が先か、コアラが先か…。当時の日本はそんなことでモヤモヤしていた平和な時代だったのだ。

ゴジラ復活!

 ゴジラ復活運動≠ヘ日に日に増す。全国でいろいろなイベントが展開される中、東宝さんはついに新作を発表する。一般人からもエキストラ役を募集した。『ゴジラ』に出演するチャンスである。
 撮影には従来の着ぐるみゴジラのほかに、サイボットゴジラも使用された。着ぐるみでは表現できない目や口をコンピュータ制御で動かすゴジラだ。

サイボットゴジラと科学時代

 サイボットゴジラは、映画の宣伝にも一役買い全国を巡回する。時は1984年(昭和59年)。話題は翌年に控えたつくば万博*狽ヘEXPO'85≠アと国際科学技術博覧会で持ちきり。大型テレビや、ピアノの演奏や絵を描いたりするロボット、そして全自動タマゴ割機などの出展物を、開催より1年先駆け新聞などのメディアで紹介された。サイボットゴジラには、日本中の企業が火花を散らし、科学技術を競っていたその時代の影響もあるのだろう。『ゴジラ』はこのように当時の日本を後世に伝える資料としても価値がある映画なのだ。

国際化社会とその時代

 科学もだが、国際化社会≠ニいうのもこの時代のキーワード。コアラの輸入が成功したのもそのため。紙幣のデザインが政治家から文化人に一新されたのも、国際化社会の事情も絡んでいる。政治家のような日本では英雄でも海外では天敵≠ゥもしれない人物を紙幣に印刷するのは、時代には合わないということになったのだ。そして、国際化社会は新しい『ゴジラ』にも取り入れられる。

30年ぶりのゴジラ!

 1984年(昭和59年)12月15日、待ちに待った新作が公開される。タイトルは『ゴジラ』。残念なのは5カ月前に天国へ旅立たれた俳優の平田昭彦さんがこの映画に出演することを楽しみにしていたことだ。ストーリーは30年ぶりにゴジラが地上に現れたというもの。
 「30年前」というのは、第1作である1954年版の『ゴジラ』のこと。そこから歴史が枝分かれし、2作目の『ゴジラの逆襲』から前作の『メカゴジラの逆襲』までの話は新しい映画だとパラレルワールド≠ニいう扱いなのだ。だから、作品としては「9年ぶり」でも、ストーリー上では「30年ぶり」という訳である。

帰ってきた破壊神!

 いつの間にか正義のヒーローなってしまったゴジラだが、新しい映画では再び日本を襲う恐怖の大怪獣となる。前作の『メカゴジラの逆襲』を別世界という設定にしたのは、かつてのゴジラ≠ノ戻すためだった。
 原点回帰≠ニいうのは、かなり前から検討されていた課題だっただろう。70年代の作品が社会問題をテーマにしたこと、『メカゴジラの逆襲』で本多猪四郎監督を復帰させ、しかも真舟博士を演じたのが平田昭彦さんだったことなどが、それを裏付けるデータではないか?
 だが、修復はもはや不可能に近いものだった。20年がかりで作り上げたものは、生半可な気持ちでは変えられない。「今までゴジラを残しつつ…」などと緩いことを言っている限りは先には進めないだろう。原点回帰が本気なら、過去の栄光≠ヘ捨てるべき…。そんな思い切った決断から「今度こそ!」に挑戦したのが1984年版の『ゴジラ』という訳である。

次世代アニメへ

 ここまで1984年版の『ゴジラ』が制作された経緯を解説したが、『アンパンマン』も原点に戻ってはどうか? 早い話がつまり、アニメを第1話≠ゥら作り直すということだ。 『鉄腕アトム』や『天才バカボン』が何度もリメイクされたように『アンパンマン』も色々なアニメがあってもいいと思う。
 やなせ先生は『アンパンマン』の作者だけではない。年々少なくなる戦争経験者の1人≠セった。だが、『アンパンマン』に出会って、戦争や貧困などの問題に関心を持った人はどのくらいいるのだろう?
 やはり、アニメの影響はやはり大きい。アニメにメスを入れない限り、本来の『アンパンマン』が理解されない。関係者にやなせ先生の遺志≠継ぐ気が本当にあるなら、『ゴジラ』のような大改造≠ノ興味を示すだろう。番組のマンネリ化≠解消する面でもいい案だ。

人気よりも大事なもの?

 1984年版の『ゴジラ』が公開された当時、1作目を除く過去作については「『ゴジラ』を壊した」などという批判的な風潮があった。しかし、実際はそんなに酷かったのか…? ゴジラと言えば、ヒーローのイメージの方が強いというファンもいたはず。
 ゴジラが核の申し子だったのは、初期のたった数作だけ。そのあとは1984年版の『ゴジラ』が公開されるまではヒーローとしてのゴジラだ。このデータを見ると、むしろかつてのゴジラの方が不利な状況である。今のようにビデオやネット配信などで過去作を視聴する手段もない。だから、原点回帰は人気という単純な問題だけとは思えないのだ。
 さて、人気よりも大事なものってなんだろう? それは1950年代に生まれていない子供や若者たちに本来のゴジラ≠伝えることではないか?

マイナスゴジラ

 2023年(令和5年)、『ゴジラ』の新作が国産では7年ぶりに公開されることになった。タイトルは『ゴジラ-1.0』。時代設定は戦後すぐの日本。また原点に戻ったのである。
 年々少なくなる戦争体験者。やなせ先生もその1人だった。子供や若者たちに戦争をどう伝えればいいのか? 『ゴジラ-1.0』はその大役を買って出たように思える。さて、『アンパンマン』はこれをただ見物しているだけでいいのだろうか?

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