1974年度を調査!

 ホーム > アンパンマン歴史あれこれ > 1974年度を調査!

目 次

当時の習慣

毎月7日は?

 『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『怪傑アンパンマン』はこの年からスタート。第3回まで掲載され、次年度へ続く。

▲このページのトップへ

できごと

『怪傑アンパンマン』がスタート!

 1974年(昭和49年)12月7日、『月刊詩とメルヘン〔1月号〕』(サンリオ)が発売。第1回が掲載される。

連載開始までの流れ

 約1年ほど前、『キンダーおはなしえほん〔1973年(昭和48年)10月号〕』(フレーベル館)に掲載された『あんぱんまん』は、編集部で今後、同じような作品を書かないよう厳しい忠告を受けた。けれど、『アンパンマン』への思いを断ち切れないやなせ先生は、自分が編集長を務める雑誌でリベンジした訳である。詳しくは『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)で。

父になったジャムおじさん!

 第1回は連載の挨拶のあと、ジャムおじさんとパン工場の紹介が始まり、アンパンマンに命がやどったところで「次号をお楽しみ!」という内容。「ジャムおじさんがアンパンマンの作りの親」という設定は多分これが最初だろう。以前、『キンダーおはなしえほん〔1973年(昭和48年)10月号〕』(フレーベル館)に掲載された『あんぱんまん』では、ジャムおじさんは事故にあったアンパンマンを助けただけで、家族の説明などはどこにも書いていない。

『月刊いちごえほん』が創刊!

 1975年(昭和50年)2月20日発売。サンリオより。『月刊詩とメルヘン』の姉妹誌。編集長も本家と同じやなせ先生。『アンパンマン』の連載が始まるのはのちの話。

創刊までの流れ

 本家である『月刊詩とメルヘン』は、創刊当時は3号くらいで消えると言われていたが、その予想をはるかに超えた。特に驚いたのは、小さな子供たちからのたくさんの投稿。このままではパンクしてしまうため、ジュニア版を創ろうという話が出た訳だ。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔2003年8月号〕』を。

新監督の誕生日!

 大学時代から華麗なプレーで多くのファンを魅了してきたプロ野球巨人の長嶋茂雄選手。その人気は入団前、西鉄に盟主の座を奪われかけていた巨人軍を蘇生させるほどだった。
 そして、1974年(昭和49年)10月14日。場所はスタンドにお客さんがぎっしり詰まった後楽園球場。試合後、「我が巨人軍は永久に不滅です!」と挨拶。現役生活に別れを告げた。
 『月刊いちごえほん』はそんな長嶋さんの監督としては初めて迎える誕生日に創刊号が発売されたのである!

▲このページのトップへ