1990年度を調査!

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目 次

当時の習慣

毎週日曜日は?

 『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版に『とべ!アンパンマン』が掲載。この年は第14回から第66回まで。次年度へ続く。

毎週月曜日は?

 夕方5時から5時半に…。あれっ!? 何だっけ? 確か関東地区のテレビだったと思うのだが…。まあ、いいか。気になるけど、忘れたから仕方がない。

毎月7日は?

 『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『きまぐれ絵日記』には時々、『アンパンマン』のイベントなどが書かれた。

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できごと

アンパンマン絵本1千万部へ!

 1990年(平成2年)4月に突破。1作目は『キンダーおはなしえほん〔1973年(昭和48年)10月号〕』(フレーベル館)に掲載された『あんぱんまん』。ここから17年掛かった。中にはカウントするべきではないものも含まれていると思うのだが。

『あぶくちゃんとみずおに』が刊行!

 1990年(平成2年)4月、フレーベル館。『おむすびまんたびにっき』の第3回配本。27cmX21cmのB5判。原本は『キンダーおはなしえほん〔1989年(平成元年)6月号〕』に掲載された『おむすびまん3 あぶくちゃんとみずおに』で、当時、フレーベル館の月刊保育絵本を定期購読する幼稚園や保育園に通っていた子供たちしか手に入れられなかった。

『アンパンマンとまほうのロープ』が掲載!

 1990年(平成2年)4月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーメルヘン〔5月号〕』で。

『アンパンマンのふしぎなくに』が創刊!

 1990年(平成2年)5月、フレーベル館。『アンパンマンのぼうけん』に代わる絵本レーベル。21cmX19cmのB5判で『あんぱんまんのぼうけん』と同じサイズ。第1回配本は『アンパンマンとはるのしろ』。

特典

 1991年(平成3年)10月31日の締め切りまでに全巻買い求めた読者には特典として『アンパンマンバッチ』も用意されていた。

『日本漫画家協会賞』に!

 1990年(平成2年)5月23日、日本漫画家協会が発表。やなせ先生は『アンパンマン』で第19回の大賞に選ばれる。表彰式は6月27日、東京丸の内。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1990年8月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第107回で。

ほかの受賞者

 優秀賞はささやななえ先生、深野正士先生、マエダパルコ先生、安彦良和先生。そして、この年から新設された文部大臣賞は手塚治虫先生に贈られた。

『アンパンマンとつばきひめ』が刊行!

 1990年(平成2年)6月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第2回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンヒット!感謝の会』を開催!

 1990年(平成2年)6月15日、東京都千代田区の九段会館にて。アンパンマン絵本1千万部突破の記念行事。やなせ先生はこの日に備えて純白のタキシードをオーダーした。このタキシードは6月27日の東京丸の内で行われた『日本漫画家協会賞』の表彰式でも披露する。
 詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1990年(平成2年)9月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第108回を参考。『毎日新聞〔1990年6月20日付夕刊〕』(毎日新聞社)にも。

初代アンパンマン再び!

 1990年(平成2年)6月15日、サンリオから『十二の真珠』が刊行。1970年(昭和45年)に山梨シルクセンター出版部から発売された同名の短篇童話集の復刊。山梨シルクセンターはサンリオの前身。収録作品は、1968年(昭和43年)に『PHP』(PHP研究所)で1年間、『こどものえほん』として連載されていた。ただし、収録順は掲載順ではない。

手は加えず

 『新しい「まえがき」』によると、やなせ先生は復刊にあたり、作品を修正するつもりだった。だが、これは原型のままにするべきという周りの意見を尊重し、カバーのみを新しくしたという。
 ただし、ベースは1970年(昭和45年)に山梨シルクセンター出版部から出た単行本であり、『PHP』に掲載されたオリジナルバージョンではない。

『おむすびまん〔4〕 こむすびまんとすみれひめ』が掲載!

 1990年(平成2年)6月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーおはなしえほん〔7月号〕』で。

『アンパンマンとあめふりおに』が刊行!

 1990年(平成2年)7月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第3回配本。21cmX19cmのB5判。

ジャムおじさんを体験!?

 1990年(平成2年)8月18日、やなせ先生が『おとこの台所』に出演。日本テレビの料理番組。講師は木村屋のパン職人。生まれて初めてアンパンを作る。『月刊詩とメルヘン〔1990年10月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第109回によると、収録は放送の1カ月前の7月10日とのこと。

『アンパンマンとバナナマン』が刊行!

 1990年(平成2年)9月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第4回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンとうずまきまん』が刊行!

 1990年(平成2年)9月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第5回配本。21cmX19cmのB5判。

まさかの2部作

 『アンパンマン』は基本的に1話完結だが、この作品では前作の『アンパンマンとバナナ』の続きと思われる始まり方だった。

『船橋市アンパンマン童謡コンサート』が開催!

 1990年(平成2年)9月2日、わんぱく公園にて。3月に除幕式をしたアンパンマン象の完成企画。出演は『アンパンマン』の関係者のほかに、歌手のたいらいさおさん、稲村なおこさんも参加。ピアノは篠崎仁美さん。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1990年12月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第111回を参考。

『アンパンマンとぎんいろまん』が刊行!

 1990年(平成2年)10月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第6回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンとなかゆびひめ』が刊行!

 1990年(平成2年)11月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第7回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンとりんごのくに』が刊行!

 1990年(平成2年)12月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第8回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンとばいきんまん』が神戸で上映!

 1990年(平成2年)12月24日、灘区の灘神戸生協文化センターで開催された『クリスマス映画会』で。時間は午前10時、午後0時半、午後3時。このアニメは1988年(昭和63年)からテレビで放送されているものとは別の作品だと思われる。情報は『朝日新聞〔1990年12月20日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面から。

『アンパンマンとろうそくまん』が刊行!

 1991年(平成3年)1月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第9回配本。21cmX19cmのB5判。

『こむすびまんとすみれひめ』が刊行!

 1991年(平成3年)1月、フレーベル館。『おむすびまんたびにっき』の第4回配本。27cmX21cmのB5判。原本は『キンダーおはなしえほん〔1990年(平成2年)7月号〕』(フレーベル館)に掲載された『おむすびまん〔4〕 こむすびまんとすみれひめ』で、フレーベル館の月刊保育絵本を定期購読する幼稚園や保育園に通っていた子供たちは4カ月早く読むことができた。

『アンパンマンといわおとこ』が刊行!

 1991年(平成3年)2月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第10回配本。21cmX19cmのB5判。

『アンパンマンとゆきだるまん』が刊行!

 1991年(平成3年)3月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎなくに』の第11回配本。21cmX19cmのB5判。

『とべ!アンパンマン』が単行本化!

 1991年(平成3年)3月、フレーベル館から『英語対訳つき とべ!アンパンマン〔1〕』が刊行。『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版に連載されていた外国風≠フ漫画。第1回から第23回までの話が収録。ただし、原画は描き直したものを使用している。

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