1991年度を調査!

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目 次

当時の習慣

毎週日曜日は?

 『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版に『とべ!アンパンマン』が掲載。この年は第67回から第118回まで。次年度へ続く。

毎週月曜日は?

 夕方5時から5時半に…。あれっ!? 何だっけ? 確か関東地区のテレビだったと思うのだが…。まあ、いいか。気になるけど、忘れたから仕方がない。

毎月7日は?

 『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『きまぐれ絵日記』には時々、『アンパンマン』のイベントなどが書かれた。

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できごと

『アンパンマンのふしぎなくに』が完結!

 1991年(平成3年)4月、フレーベル館。21cmX19cmのB5判。第12回配本の『アンパンマンとはいおに』が最後の作品となる。1年前の1990年(平成2年)5月に創刊され、毎月1冊発売された。全12巻は創刊当初のからの予定。話も「その月の季節」というテーマが決められていたらしく、きまぐれなほかのレーベルとは違い月刊誌のシステム≠持っていた。

『アンパンマンメルヘン』が創刊!

 1991年(平成3年)4月、フレーベル館。『アンパンマンのふしぎのくに』に代わる絵本レーベル。19.5cm×27cmの横長B5判。第1回配本は『アンパンマンとみみせんせい』。

『アンパンマンともりのひみつ』が掲載!

 1991年(平成3年)4月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーメルヘン〔5月号〕』で。

『春の叙勲』に!

 1991年(平成3年)4月28日、政府は受賞者4489人を発表。やなせ先生は勲四等瑞宝章に選ばれる。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1991年(平成3年)8月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第113回を参考。伝達式は5月15日、国立劇場行で。

『おむすびまん〔5〕 くらやみだにとひかりひめ』が掲載!

 1991年(平成3年)5月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーおはなしえほん〔6月号〕』で。

『月刊詩とメルヘン〔6月臨時増刊号〕 やなせ・たかしの世界』が発売!

 1991年(平成3年)5月19日、サンリオ。4月に勲四等瑞宝章を受賞したやなせ先生の独占特集。

『アンパンマンとあかいしま』が刊行!

 1991年(平成3年)6月、フレーベル館。『アンパンマンメルヘン』の第2回配本。

『アンパンマンの勲章を見る会』を開催!

 1991年(平成3年)7月19日、東京の赤坂プリンスホテル新館クリスタルパレスにて。やなせ先生が勲四等瑞宝章を受賞した記念行事。やなせ先生は高山帽子に黒のタキシード姿でアンパンマン号に乗ってステージに登場。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1991年(平成3年)10月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第121回を参考。

里中満智子先生も!

 アンパンマンの着ぐるみ姿で登場した漫画家の里中先生! そのあと架空の結婚式も…! 『アンパンマン伝説』(1997年7月、フレーベル館)にはこの時の記念写真が載っている。

読者も!

 直前に発売された『月刊詩とメルヘン〔1991年8月号〕』(サンリオ刊)の『シグレ通信』に招待状≠ェ掲載。ただし、先着10名まで。

『徹子の部屋』へ!

 1991年(平成3年)7月30日放送。テレビ朝日のトーク番組。ゲストはやなせ先生。『月刊詩とメルヘン〔1991年9月号〕』(サンリオ)に掲載された『きまぐれ絵日記』の第121回によると、収録は6月18日。黒柳徹子さんはユニセフの仕事で外国に出かけるため、1日3本取りためるという強行スケジュールだったそうだ。

『アンパンマンとかっぱのみず』が刊行!

 1991年(平成3年)8月、フレーベル館。『アンパンマンメルヘン』の第3回配本。 環境問題

『おむすびまんたびにっき』が完結?

 1991年(平成3年)9月、フレーベル館。27cmX21cmのB5判。第5回配本の『くらやみだにとひかりひめ』が最後のタイトルとなる。原本は『キンダーおはなしえほん〔1991年6月号〕』(フレーベル館)に掲載された『おむすびまん〔5〕 くらやみだにとひかりひめ』で、フレーベル館の月刊保育絵本を定期購読する幼稚園や保育園に通っていた子供たちは4カ月早く読むことができた。

続きはある!

 『おむすびまんたびにっき』は『キンダーおはなしえほん』の作品を本屋さんで再販したもの。しかし、『キンダーおはなしえほん』での連載よりも一足先に完結してしまった。
 気になるのは『キンダーおはなしえほん』が1992年度(平成4年度)にリニューアルされたこと。これは全巻同じ仕様で統一したい編集部としては、頭が痛くなる問題だったのではないだろうか?

『アンパンマンとすいこみどり』が刊行!

 1991年(平成3年)10月、フレーベル館。『アンパンマンメルヘン』の第4回配本。

『英語対訳つき とべ!アンパンマン〔2〕』が刊行!

 1991年(平成3年)11月、フレーベル館。『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版で連載されていた『とべ!アンパンマン』の第24回から第46回までの話が収録。ただし、原画は前巻同様、描き直したものを使用している。

『とべ!アンパンマン』が連載第100回へ!

 『読売新聞〔1991年(平成3年)11月24日付日曜版〕』(読売新聞社)に掲載。とは言え、話はいつも通りの内容で、やなせ先生は節目を気にしなかったようだ。第1回は『同〔1990年(平成2年)1月1日付日曜版新春特別号〕』に掲載され、ここから約2年かかった。

『アンパンマンとゆうきりんりん』が刊行!

 1991年(平成3年)12月、フレーベル館。『アンパンマンメルヘン』の第5回配本。

『とべ!アンパンマン』の単行本が完結?

 1991年(平成3年)12月、フレーベル館から『英語対訳つき とべ!アンパンマン〔3〕』が刊行。『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版に連載されていた『とべ!アンパンマン』の第46回から第70回までの話が収録された。ただし原画は、描き直したものを使用している。連載はまだ続いていたが、単行本はこれが最終巻となる。

未収録?

 もちろん、第70回以降の話のことではない。第53回が欠番になのだ。ほかの回とは違い、新春特別号に掲載されたた特別版だったためだと思われる。しかし、これは第1回も同じはずなのだが…。

『アンパンマンとひかるゆき』が刊行!

 1992年(平成4年)2月、フレーベル館。『アンパンマンメルヘン』の第6回配本。

『やなせ・たかしの世界』が川崎で!

 1992年(平成4年)3月3日から8月30日までの半年間に渡るロング企画。場所は川崎市市民ミュージアム。時間は午前9時30分から午後5時まで。月曜日は休館となっている。
 詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1992年6月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第128回を参考。『朝日新聞〔1992年4月18日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面にも。

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