1996年度を調査!

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目 次

当時の習慣

毎週月曜日は?

 夕方5時半から6時に…。あれっ!? 何だっけ? 確か関東地区のテレビだったと思うのだが…。まあ、いいか。気になるけど、忘れたから仕方がない。

毎週金曜日は?

 夕方5時から5時半に関東地区のテレビで何かあったらしい。忘れるくらいだから、大したことではないだろう。

毎月7日は?

 『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『きまぐれ絵日記』には時々、『アンパンマン』のイベントなどが書かれた。

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できごと

『「やなせ・たかし記念館 アンパンマンミュージアム」オープン記念 アンパンマン画集』が掲載!

 1996年(平成8年)4月7日発売の『月刊詩とメルヘン〔5月号〕』(サンリオ)で。ミュージアムに展示するために描き始めたF30号のアクリル画の一部。『虹工場のある星』、『どくろ島のゆーれい船』、『ばいきん星のたたかい』、『燃えるアンパンマン号』、『遺跡の怪鳥』、『巨石じゅうガランゴラ』、『くずれる積木の塔』の7作品が紹介された。

命名の秘話

 やなせ先生は施設に自分の名前を入れるのに抵抗があった。しかし、結局、町の要望も尊重して「やなせ・たかし記念館 アンパンマンミュージアム」となった。

『アンパンマンとぱしぱしぱしーん』が刊行!

 1996年(平成8年)4月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第9回配本。20cm×15cmのA5判。ばいきんまんにそっくりのあかきんまん、あおきんまんが登場した。

忘れられたバイキントリオ

 バイキントリオは『読売新聞〔1992年(平成4年)6月21日付日曜版〕』に掲載された『とべ!アンパンマン』の第130回にも登場した。こちらは分身によって3匹になったばいきんまんだ。しかし、しょせんは1回きりのゲスト。実はその昔、トリオが通常≠フ時代がある。
 いつの間にか絶滅危惧種≠ノなってしまったばいきんまんだが、初期設定では1匹見つけたら100匹はいる厄介な生き物だった。『月刊いちごえほん』に連載されていた漫画の『あんぱんまん』には、ばいきんまんが一度に3匹登場する話もあった。

やなせ先生が『達人たちの玉手箱』に!

 1996年(平成8年)4月28日に放送。NHK教育テレビのトーク番組。アンパンマンとフランケンシュタインの人形、包丁研ぎ器、絵本の『てのひらを太陽に』を持ち、『アンパンマン』や3年前に他界された暢夫人の思い出を語る。『月刊詩とメルヘン〔1996年7月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第174回によると、収録は2週間ほど前の4月6日とのこと。

『やなせたかしの世界展〜アンパンマンミュージアムへの旅立ち〜』 が開催!

 1996年(平成8年)4月27日開始。5月26日まで。アンパンマンミュージアムのオープンに伴い、東京から高知へ引っ越しする作品たちの送別会=B場所は東京都千代田区大手町の逓信総合博物館。休館日は30日、5月7日、13日、20日。4月28日、5月5日はやなせ先生のトークショー、5月1日にはサイン会も行われた。
 その模様は『月刊詩とメルヘン〔1998年8月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第172回を参考。『朝日新聞〔1996年4月26日付朝刊〕』(朝日新聞社)の家庭面、『毎日新聞〔1994年5月18日付夕刊〕』(毎日新聞社)にも。

夏休みからゴールデンウィークへ!?

 当初は夏休みの予定だった。『月刊詩とメルヘン〔1996年8月号〕』に掲載された『気まぐれ絵日記』の第175回によると、ゴールデンウィークに変更したのはやなせ先生の希望だったという。

『やなせ・たかしの世界展』が高知で!

 1996年(平成8年)6月13日から開催。場所は高知大丸。商店街では地元の幼稚園の子供たちが行進するパレードも行われた。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1996年9月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第176回を参考。

『アンパンマンとふうせんまん』が刊行!

 1996年(平成8年)7月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第10回配本。20cm×15cmのA5判。

『そらとぶえほんとガラスのくつ それいけ!アンパンマン』が刊行!

 1996年(平成8年)7月、フレーベル館。

『「アンパンマンミュージアム」オープン前夜祭』が開催!

 1996年(平成8年)7月20日、高知空港そばのホリデイインというホテルにて。8人の花嫁と一緒にステージを盛り上げた。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1996年10月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第177回を参考。

アンパンマンミュージアムがついにオープン!

 1996年(平成8年)7月21日、高知県香美市香北町。初日のお客さんの総数は5000人となった。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1996年10月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第177回を参考。

新たなスタート!

 オープンに向け、ギャラリーに飾るF30号のアクリル画を本業と並行しながら可能な限り制作したやなせ先生。時には展覧会などのイベントを催すなど、この2年は多忙の日々が続いた。ミュージアムを無事オープンさせることを人生最後の目標≠ニしていたという。
 そして、その日はやって来た。あとは余生を静かに過ごすだけだったハズが、実際にはここからだったのだ。

犬小屋からの変身!?

 やなせ先生は自分の美術館について『月刊詩とメルヘン〔1991年(平成3年)11月号〕』に掲載された『気まぐれ絵日記』の第122回で触れている。5年前は「できたとしてもせいぜい犬小屋くらいのものだ」と否定的だった。作詞家の小黒恵子先生、イラストレーターの葉祥明先生は別世界の人だと。心変わりしたのは1993年(平成5年)に奥さんが天国へ旅立たれてからだろう。その経緯については『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)を読んで頂きたい。

『やなせ・たかしの世界 増補版』が刊行!

 1996年(平成8年)7月25日、サンリオ。原本はやなせ先生が勲四等瑞宝章を受賞した時に同社から発行された『月刊詩とメルヘン〔1991年6月臨時増刊号〕 やなせ・たかしの世界』で、一部の内容が変更されている。

幻のホラーマン

 必見は『キャラクターアイディアノート』。ホラーマンには「無限大に増える」という没設定≠ェあったことが明かされる。

『やなせ・たかし記念館 アンパンマンミュージアムオープン』が掲載!

 1996年(平成8年)9月7日、『月刊詩とメルヘン〔10月号〕』(サンリオ)が発売。『気まぐれ絵日記』の第177回。いつもより4ページ拡大して、オープン当日の模様などを写真付きで紹介する。

アンパンマンミュージアムが早くも10万人に!

 1996年(平成8年)9月8日に突破。『月刊詩とメルヘン〔1996年12月号〕』(サンリオ刊)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第179回によると、年間の目標数をたった1ヶ月半でクリアしてしまったという。ちなみに、『同〔1991年(平成3年)11月号〕』に掲載された『気まぐれ絵日記』の第122回では、自分の美術館を建てても誰も来ないと否定していた。

『アンパンマンのみえ〜るブック』が完結!

 1996年(平成8年)10月、フレーベル館。第2回配本の『はしれ!SLマン』、『おばけのほらあな』、『チーズをさがそう』が最後の3タイトル。著者の情報が前の3巻とは違い、考案者の近藤芳弘先生との連名となる。肩書きの表記が平仮名から漢字になったのも気になるところ。

『アンパンマンとまほうのふで』が刊行!

 1996年(平成8年)11月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第11回配本。20cm×15cmのA5判。

ひと?

 「まっくろに よごされた ひとたち」は、何気にこの作品の注目点。絵をよく見てみよう。イチゴ、トウガラシ、マメが人≠ニして認識されているのである。これは「『アンパンマン』の世界に人間はいない」という説を覆すものと言えよう。いないどころか、我々の世界よりも人種が豊富なのだ。

『アンパンマンのおはなしでてこい』が完結!

 1997年(平成9年)1月、フレーベル館。20cm×15cmのA5判。第12回配本の『アンパンマンとちびぞうくん』が最後となる。1994年(平成6年)4月に創刊され全12巻が発売された。

こんなところにもミュージアム?

 カバー折り返し部分の解説も読んで欲しい。『アンパンマンとびいだまん』、『アンパンマンとまほうのふで』、『アンパンマンとちびぞうくん』はやなせ先生の子供の頃の思い出がベースになっている。
 この2年はアンパンマンミュージアムの準備で忙しかった。打ち合わせかとかで里帰りも何度かしただろう。故郷の景色を見れば、思い出が頭の中で頭で蘇るのは納得できる話である。

『アンパンマンミニミュージアム』が東京新宿で!

 1996年(平成8年)12月31日と1月2日、東京新宿のホテルで。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1997年(平成9年)4月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第183回を参考。

『アンパンマンまじょのくにへ』が山形で上映!

 1997年(平成9年)2月15日、尾花沢市で開催された『雪中幻燈会』で。映像を雪のスクリーンに映すというユニークなイベント。場所は市役所近くの文化体育施設サルナートの駐車場。時間は午後5時半から午後8時41分まで。このアニメは1988年(昭和63年)からテレビで放送されているものとは別の作品だと思われる。情報は『朝日新聞〔1997年2月11日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面から。

アンパンマンミュージアム、20万人に!

 1997年(平成9年)3月30日に突破。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1997年7月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第186回を参考。

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