1994年度を調査!

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目 次

当時の習慣

毎週日曜日は?

 『読売新聞』(読売新聞社)の日曜版に『とべ!アンパンマン』が掲載。この年は第219回から始まり、5月に最終回を迎える。

毎週月曜日は?

 夕方5時から5時半に…。あれっ!? 何だっけ? 確か関東地区のテレビだったと思うのだが…。まあ、いいか。気になるけど、忘れたから仕方がない。

毎月7日は?

 『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『きまぐれ絵日記』には時々、『アンパンマン』のイベントなどが書かれた。

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できごと

『アンパンマンのおはなしでてこい』が創刊!

 1994年(平成6年)4月、フレーベル館。『アンパンマンのちいさなほん』に取って代わる絵本レーベル。20cm×15cmのA5判。第1回配本は『アンパンマンとみずのしろ』。

『アンパンマンとらんぼうや』が掲載!

 1994年(平成6年)5月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーメルヘン〔5月号〕』で。

アンパンマンショップを始める!

 1994年(平成6年)4月4日、テナント募集となっていた東京新宿区舟町7ロクサンビルの1階を契約。まだ準備の段階でオープンはこれから。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1994年7月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第150回を参考。『朝日新聞〔1994年6月11日付朝刊〕』(朝日新聞社)によると、漫画家がタレントのように自分の店を作るのは当時は珍しかったらしい。

動機

 『気まぐれ絵日記』の第150回によると、新宿の街を歩いてるうちに気まぐれ≠ノ店をやりたくなったという。一方、『朝日新聞〔1994年6月11日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地方面では、空き家となったガラス張りのテナントがずっと気になり、町を明るい話題を送るためだとのこと。これも一理あるのだが、有力なのは『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)に書かれていることだろう。

あんぱんの日

 明治天皇にアンパンが献上されたのは1875年(明治8年)のこの日。それに合わせての契約だったかは気になるところ。

『とべ!アンパンマン』が連載終了!

 『読売新聞〔1994年(平成6年)5月29日付日曜版〕』(読売新聞社)に最終回が掲載。新聞社からの手紙を受け取ったジャムおじさんが、外出中のアンパンマンたちをパン工場に呼び戻し、読者に挨拶をするところで幕を下ろす。第1回は『同〔1990年(平成2年)1月1日付日曜版新春特別号〕』に掲載。ここから4年半に渡り全227回となる。

アンパンマンミュージアムに専念?

 中途半端な時期での連載終了。事情はよくわからないが、気になるのはその後のやなせ先生の生活だ。アンパンマンミュージアムがオープンするまでは忙しかったことは間違えない。

アンパンマンショップがオープン!

 1994年(平成6年)6月11日、東京新宿区舟町7ロクサンビルの1階に。『月刊詩とメルヘン〔1994年9月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第152回によると、人気商品はたった2日で売り切れになったとのこと。やなせ先生の自叙伝のひとつである『アンパンマンの遺書』(1995年、岩波書店)はここで完結となる。

『やなせ・たかしの世界 アンパンマン美術展』が新宿高野で!

 1994年(平成6年)6月16日から28日まで。東京新宿区新宿の新宿高野第2ビルにて。時間は午前11時から午後7時。最終日のみ午後5時までとなっている。水曜日は休館。
 アンパンマンミュージアムのオープンに向け描き始めたF30号のアクリル画。この時点で完成した作品の内13点を公開。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1994年9月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第152回を参考。『読売新聞〔1994年6月7日付朝刊〕』(読売新聞社)の地域面、『毎日新聞〔1994年6月11日付夕刊〕』(毎日新聞社)、『同〔1994年6月16日付夕刊〕』にも。

新たな目標へ!

 2年後にオープンすることになったアンパンマンミュージアム。しかし、建物が立派でも、作品を展示しないと意味がない。何を展示すればいいのだろう? 大きな美術館に絵本や漫画の原画では小さすぎる。そこで、やなせ先生は、F30号のアクリル画をオープンまでの間にできるだけ制作することにした訳だ。

『アンパンマンとあおばひめ』が刊行!

 1994年(平成6年)7月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第2回配本。20cm×15cmのA5判。

『リリカル★マジカルまほうのがっこう それいけ!アンパンマン』が刊行!

 1994年(平成6年)7月、フレーベル館。

『おむすびまん〔8〕 ほたるのもり』が掲載!

 1994年(平成6年)7月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーおはなしえほん〔8月号〕』で。

『漫画家の巨匠やなせ・たかし展』、東京上野で!

 1994年(平成6年)8月4日から9日まで。読売新聞社主催、読売光と愛の事業団後援。場所は上野松坂屋本館6階。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1994年11月号〕』(サンリオ刊)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第154回で。やなせ先生は「巨匠」という言葉に参ったと。『読売新聞〔1994年7月30日付朝刊〕』(読売新聞社)の地域面、『同〔1994年7月30日付夕刊〕』の社会面、『同〔1994年8月4日付朝刊〕』の地域面にも。

チャリティーサイン会

 4日午後2時、6日午後2時と4時、7日午後2時と4時半には先着50人まで。やなせ先生は収益508664円を26日に読売光と愛の事業団に寄付した。詳しくは『読売新聞〔1994年8月27日付朝刊〕』の地域面を参考。

『やなせ・たかしの新世界(アンパンマン美術展より) アンパンマンをモチーフとして描きおろしたファンタスティックな世界』が掲載!

 1994年(平成6年)9月7日発売の『月刊詩とメルヘン〔10月号〕』(サンリオ)で。6月に新宿高野第2ビルで開催された『やなせ・たかしの世界 アンパンマン美術展』を見れなかったという読者の要望に応えたもの。13点のアクリル画の中から、『バイキン城の星月夜』、『ヌラのいる海』、『ケロゴンのいる沼』、『ムーンライトソナタ』、『ハンバーガーキッドの砂漠』、『水晶谷の吹雪鬼』、『ダダンダンの襲撃』が紹介された。

『アンパンマンの自動車実技教室』を開催!

 1994年(平成6年)9月11日、神宮外苑で。やなせ先生も秋の交通安全運動で四谷署から依頼され、1日署長を務める。汗だくになりながら会場でアンパンマンのイラストを描いた。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1994年12月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第155回を参考。

『「アンパンマン」お話の会』が富良野で!

 1994年(平成6年)9月17日、富良野スポーツセンターにて。ふらのジャム園共済農場20周年。やなせ先生も招待された。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1994年12月号〕』(サンリオ刊)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第155回を参考。のちにオープンするアンパンマンショップの2号店との関係が気になるところ。

『アンパンマンとまほうのもくば』が刊行!

 1994年(平成6年)10月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第3回配本。20cm×15cmのA5判。

『アンパンマンとロールパンナ』が刊行!

 1995年(平成6年)1月、フレーベル館。『アンパンマンのおはなしでてこい』が第4回配本。20cm×15cmのA5判。ロールパンナの初登場ストーリーを絵本用に描き直した。

『アンパンマンの遺書』が刊行!

 1995年(平成7年)2月22日、岩波書店。高さ20cmのB6判。やなせ先生の自叙伝のひとつ。『やなせたかしのお店 アンパンマンショップ』がオープンするまでが書かれている。手塚治虫先生、永六輔先生、いずみたく先生、宮城まり子さん、里中満智子先生とのエピソードも。

『もうひとつのアンパンマン物語 人生は、よろこばせごっこ』が刊行!

 1995年(平成7年)2月24日、PHP研究所。高さ19cmのB6判。やなせ先生のエッセー集。やなせ先生の手元にあるスクラップブック3冊をPHP研究所第一出版部が編集したもの。2022年(平成4年)1月31日に同社から復刊した際には『ボクと、正義と、アンパンマン』と改題された。

もうひとつのとは…?

 アンパンマンはやなせ先生の分身とだという。だから本のタイトルはこうなった。『《作者略歴》』の「自作のヒーローアンパンマン≠ノ劣らぬ活躍ぶり」というのも面白い。

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